靖国神社に参拝した歴代首相
首相名 |
参拝回数(4月は春季例大祭・10月は秋季例大祭) |
1945(昭和20)年に1回 (8月18日) |
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1945(昭和20)年に2回 (10月23日・11月20日) |
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1951(昭和26)年から1954(昭和29)年にかけて5回 (1951年10月18日・1952年10月17日・1953年4月23日・同年10月24日・1954年4月24日) |
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1957(昭和32)年から1958(昭和33)年にかけて2回 (1957年4月24日・1958年10月21日) |
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1960(昭和35)年から1963(昭和38)年にかけて5回 (1960年10月10日・1961年6月18日・同年11月15日・1962年11月4日・1963年9月22日) |
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1965(昭和40)年から1972(昭和47)年にかけて11回 (1965年4月21日・1966年4月21日・1967年4月22日・1968年4月23日・1969年4月22日・同年10月18日・1970年4月22日・同年10月17日・1971年4月22日・同年10月19日・1972年4月22日) |
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1972(昭和47)年から1974(昭和49)年にかけて5回 (1972年7月8日・1973年4月23日・同年10月18日・1974年4月23日・同年10月19日) |
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1975(昭和50)年から1976(昭和51)年にかけて3回 (1975年4月22日・同年8月15日・1976年10月18日) |
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1977(昭和52)年から1978(昭和53)年にかけて4回 (1977年4月21日・1978年4月21日・同年8月15日・同年10月18日) |
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1979(昭和54)年から1980(昭和55)年にかけて3回 (1979年4月21日・同年10月18日・1980年4月21日) |
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1980(昭和55)年から1982(昭和57)年にかけて9回 (1980年8月15日・同年10月18日・同年11月21日・1981年4月21日・同年8月15日・同年10月17日・1982年4月21日・同年8月15日・同年10月18日) |
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1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけて10回 (1983年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1984年1月5日・同年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1985年1月21日・同年4月22日・同年8月15日) |
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1996(平成08)年から1回 (1996年7月29日) |
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2001年(平成13)から6回 (2001年8月13日・02年4月21日・03年1月14日・04年1月1日・05年10月17日・06年8月15日) |
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☆
戦後歴代首相(27人―小泉首相を含む)による靖国神社参拝は14人(参拝しなかた首相13人)、延べ64回。 ☆ 8月15日の参拝は、これまでに三木武夫、福田赳夫、鈴木善幸、中曽根康弘の4人の元首相が計9回(03年1月現在)。
☆ 三木首相は社会、共産、公明3野党から「首相の立場と一体だ」と激しく批判され、参拝の前日に「個人(私人)としての参拝」に改める。三木首相は、「1.(防弾ガラスの)公用車不使用(私費でハイヤーを用意)、2.玉串料を公費支出しない(私費〈ポケットマネー〉で支出)、3.記帳には肩書きを付けない(「内閣総理大臣三木武夫」ではなく、肩書きなしで単に「三木武夫」と記す)、4.公職者を随行させない」との条件(「私的参拝4条件」)をつけて「私的参拝」と主張した。 ☆ 福田赳夫、鈴木善幸両首相は「公私の別」を曖昧に。 ☆ 中曽根首相は初の「公式参拝」に。ただし宗教色を薄める手段として、神道形式の「二礼二拍手一礼」の代わりに「一礼」で済ませ、「玉ぐし料」の代わりに「供花料3万円を公費(税金)から支出する方式をとった。その後この形式は、政府によって公式参拝を明言した場合でも違憲にならない「目安」として位置づけられた(「85年政府(後藤田)見解」)。 ☆
戦後歴代首相で参拝しなかった首相
{注} 宮沢首相は、根強い自民党内の慎重論を押し切って、日中国交正常化20周年にあたって初の天皇・皇后訪中を決断するが、それを実現させるため、92年7月、中国側に配慮して8月15日に靖国神社を公式参拝しないことを表明する。 だが、(関係者によると)宮沢首相は天皇が訪中(10月23日〜28日、23日北京の人民大会堂での晩餐会で天皇が「我が国が中国国民に対し多大の苦難与えた。これは私の深く悲しみとするところ」と述べる)した直後の92年11月、日程は事前に一切発表せず、「私的参拝」を貫くために公用車も使わず、費用はすべて私費でまかなったという形で、靖国参拝を行なったといわれている。それは、自民党が7月26日の参院選(自民党復調・社会不振)の公約に「公式参拝」を掲げていたことから、(自民党の大票田である)日本遺族会から公約の履行を強く迫られたという事情があった。このため、宮沢首相は8月9日、天皇訪中のために「静かな環境」つくりのための訪中反対勢力に対する緩衝策の意味もあり、「適当な時期に私的な立場で、英霊に対し追悼の意を表す考えに変わりはない」と私的参拝に含みを持たせて遺族会に理解を求めところとなる。参拝はこの約束の履行であった(参考資料;2001年8月9日付『朝日新聞』−「2001夏
靖国」)。 なお、この参拝は公式に確認されていないので、靖国神社に参拝しなかった総理の1人に宮沢氏が加えられている。 |
2000(平成12)年8月15日(終戦記念日)==⇒第2次森内閣の閣僚では、保岡興治法相、大島理森文相、平沼赳夫通産相、森田一運輸相、平林鴻三郵政相、虎島和夫防衛庁長官、相沢英之金融再生委員長、谷洋一農相、津島雄二厚相の9人が参拝。森総理は、を見送った。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(村上正邦会長代行)は15日午前、衆院53人、参院25人の計78人で参拝した。 1998(平成10)8月15日(終戦記念日)==⇒小渕内閣の閣僚では、宮下創平厚相、中川昭一農相、川崎二郎運輸相、野田聖子郵政相、甘利明労相、真鍋賢二環境庁長官、柳沢伯夫金融問題担当相の8人が参拝(関谷勝嗣建設相が終戦記念日前に参拝)。また太田誠一総務庁長官が「公人」の立場で参拝したことを明言(3閣僚が「私人」とし、4閣僚は「公人」「私人」の別を明確にしなかった)。小渕首相は参拝を見送った。
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