空 襲

 

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左は、両国小学校/右は大鉄傘(だいてっさん)の通称で知られるドーム型屋根の建物の旧国技館(1958年から日大講堂。1983年に解体される)=いずれも鉄筋コンクリート造りのため、焼け残ったが、内部は全焼した。

 

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現在の両国(現墨田区横網〔よこあみ〕周辺。手前の青い屋根の建物が、現在の国技館(上の旧国技館のあった場所とは異なる)。

いずれも社団法人日本戦災遺族会『平和への想い』より引用

 

 空襲について厳格な定義は存在しないが、一般には、空中の航空機や航空機形式のミサイルによる地上(停泊中の艦船を含む)や軍事目標または非軍事目標を爆撃したり銃撃したりすることといわれている(戦闘中の第1線部隊や洋上にある艦隊に対する攻撃は、空襲とはいわず「空中攻撃」という)。

 

歴史的には第1次世界大戦中、ツェッペリン飛行船によるロンドン空襲が最初である(当時は、戦闘の主力である陸・海軍の作戦を支援する副次的や役割しか有していなかった)が、空襲の本格化は、1942(昭和17)年3月、ドイツによるロンドン空襲の報復としてイギリスによるリューベック市(ドイツ北東部、バルト海に注ぐトラーベ川下流にある河港都市)爆撃(ドイツ本土爆撃)からで、米・英を中核とする連合国軍が欧州戦域で投下した爆弾総量約270万トンのうち、その53%の約142万トンが43年からの45年のドイツ降伏までの3年間に投下された(東京空襲と比較される北海に注ぐエルベ川下流の北岸にある河港都市であるドイツ・ハンブルク空襲は1943【昭和18】年7月14日、27日、29日、8月2日の計4回行われたが、その規模は、航空機2540機、投下された爆弾・焼夷弾は7941トン、その結果、全家屋の73%以上破壊され、総人口176万人のうち75万人以上が家を失い、10万人以上が死亡した)

 

大規模な空襲はドイツ降伏の主たる要因となったが、ドイツ降伏後は、日本が標的となった。

 

日本本土(東京)初空襲は、1942(昭和17)年4月18日であった。すなわち米軍は、航続距離の長い陸軍陸上機の中型爆撃機ノースアメリカン「B−25」を空母に搭載、日本本土の哨戒線間際の900キロ地点から空母から16機を発進させ、東京を夜間空襲し、約2,000キロ離れた中国大陸東部へ着陸させたのである。

 

日本空襲の本格的開始は1944(昭和19)年11月から開始されたマリアナ基地からのB29によって開始された。米軍は日本の主要都市を無差別空襲し、その結果日本の都市は焦土と化した(焼き尽くされた)。

 

日本本土に対して投下された焼夷弾を含む爆弾の総量は、1944年6月から1945(昭和20)年8月までの15か月間に原爆2発を除いて16トン以上に達したが、その78%は焼夷弾(ドイツは50%)、木造建築が中心の日本では非常に大きな成果をあげた。

 

ところで、日本への空襲は北海道から沖縄に至る全国各地の大小163都市に及び、新潟、金沢、奈良などの少数を除くと、ほとんどの都道府県の主要都市のすべてが標的になったといっても過言ではない。

 

その人的被害は確定したものはないが、少なくとも死者が50万人以上であった(死傷者の99.5%は空襲による被害で、艦砲射撃によるものは0.5%にすぎなかった)。

 

特に空襲による被害(夜間低高度の焼夷弾による電撃攻撃)は、東京、広島、長崎、大阪、兵庫、愛知、神奈川、静岡の8都府県で全国の86%を占めているが、そのうち、東京は負傷者・死者とも全国の32%にあたり、その中でも1945年3月10日の東京大空襲による被害は甚大であった(いずれも沖縄を除く=⇒沖縄戦)。

 

大規模な空襲(警察調べ)

 

☆ 沖縄10.10空襲=1944(昭和19)年10月10日/死者548人

☆ 東京大空襲==1945(昭和20)年3月10日/死者約 8万8,000人/被害家屋268,358戸

☆ 大阪大空襲==1945(昭和20)年3月13日/死者     3,987人/被害家屋136,107戸

☆ 名古屋大空襲=1945(昭和20)年3月19日/死者       826人/被害家屋 39,893戸

☆ 横浜大空襲==1945(昭和20)年5月29日/死者     3,789人/被害家屋 79,350戸

☆ 神戸大空襲==1945(昭和20)年6月 5日/死者     3,184人/被害家屋 55,368戸

☆ 広島原爆投下=1945(昭和20)年8月 6日/死者約14万人     /被害家屋 51,787戸

☆ 長崎原爆投下=1945(昭和20)年8月 9日/死者約 7万3,884人/被害家屋 18,409戸

                                                

1942(昭和17)年から1945(昭和20)年までの空襲を受けた市町村(全国で200以上。これ以外にも小規模な空襲を受けた市町村が多くある)

都市

日本本を土空襲した米軍の行動範囲

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(以上の2表はいずれも社団法人日本戦災遺族会『平和への想い』より引用)

 

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